底つきって実際のところ何だろう


底つきは「崩壊」であるべきではない

依存症の世界では、よくこんな言葉を聞きます。

「底つきしないと変わらない」

そして、その「底つき」が具体的には何を意味するのかは
人によって違うといわれます。

私は、健康であれ、家族であれ、人生であれ、
底つきを「崩壊」だと考えるべきではない
と思っています。

なぜなら、それは家族にとって
とても残酷な結果になってしまうからです。

もし底つきが

逮捕
事故
健康の崩壊
家族の崩壊
人生の破綻

を意味するのだとしたら、
それはつまり

取り返しのつかないところまで落ちるのを待て

と言っていることになります。

本当にそれが必要なのでしょうか。

私は決してそうは思いません。


なぜなら、回復のきっかけは「崩壊」ではないことも多いからです

依存症の回復について学んでいく中で、
私はあることに気づきました。

人が変わる瞬間は、
必ずしも大きな破滅の後とは限らない、ということです。

むしろ多くの場合、

  • 物質から距離ができる
  • 少し落ち着いた環境がある
  • 自分と向き合う時間がある

こうした条件がそろったときに、
人は初めて

自分の現実を見る

ことができるのかもしれません。

それは外から見ると劇的な出来事ではなく、
むしろとても静かな変化です。


私たちの場合、それは「静かに考える時間」でした

私の息子は、ユースケアの介入によって
閉鎖施設に強制収容されることになりました。

これは依存症の一般的な介入、
つまり本人の同意に向かって働きかけていく形とは
かなり違うものでした。

本人の抵抗は激しく、
グループの子たちと逃亡して物質入手したり
反抗はしばらく続きました。

その状態は半年ほど続いたと思います。

けれど、ある時期から
それが収まっていきました。

そして彼は、
突然たくさんの文章を書き始めました。

その中でどうやら

自分が依存症なのだ

という事実と向き合ったようでした。

そしてある日、
息子は自分から

「リハブに行く」

と言いました。

そのとき私は思いました。

もしかすると
底つきというのは

人生の崩壊ではなく、
現実と向き合う瞬間なのかもしれない

と。


だから私は「崩壊を待つ必要はない」と思うのです

もし底つきが

「人生の崩壊」

ではなく

「自分の現実を見る瞬間」

なのだとしたら、
それは必ずしも破滅のあとに来るものではありません。

むしろ、

  • 環境が変わること
  • 支援が入ること
  • 家族が助けを求めること

こうしたことがきっかけで
その瞬間が訪れることもあるのだと思います。

だから私は、
「底つきまで待つしかない」という言葉が出たとき、
そのひとがその言葉でなにを意味しているのか
とても敏感になります。

底つきは、
人生の崩壊である必要はありません。

むしろそれは、
回復の始まりの瞬間です。

わたし個人としては、
現実を認める瞬間」と定義しなおしたいです。

「底つきを待て」という言葉で済ませてしまうのは、
あまりにもあいまいで、
あまりにも残酷です。