はじめまして。ききと申します。このサイトに来ていただいたことを感謝しています。
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感情表現のない機能不全家族で壊れた二人の子供たち
幼少期は内向的ながらも友人に恵まれ、幸せに過ごしました。しかし、昭和ひとけた生まれの、感情表現が苦手な両親のもとで育ち、母親の過干渉と過度な心配性に影響を受け、最悪のシナリオを想定しながら生きるという癖が定着しました。兄は優秀とされていたのですが、ホリ〇モン氏も行った進学高校に入学するも、不登校・引きこもりの問題児と化してしまいます。何も考えてない天真爛漫な田舎の少女が、思いがけず無意識にその兄の役目を担うようになるのです。
親の仕事上、転勤族だったので、友人関係の継続はとても難しかったです。中学3年直前に親の海外転勤が決まり、勉強ができたわたしは、東京で兄と住むことを決意しました。しかし、13歳の天真爛漫な田舎の少女には東京は厳しかった。方言によるいじめ、これまでやったことのなかった家事の一切、偏った食事、過度な勉強ノルマにより心身が崩壊してしまいます。結果、親のもとで、インターナショナルスクールへ転校を決めます。
摂食障害とバーンアウトで終わった思春期
高校でもよい成績を保っていたけれど、両親からは一切「がんばったね」などとの言葉がけをもらったことはありませんでした。表彰式。表彰台から降りてきて、隣の父がなにげない最初の一言:「いやはや、上には上がいるもんだね」との言葉に愕然とし、この時点から摂食障害を発症してしまいました。成績はこれ以上いけなかったけれど、体重だったら完全なコントロール下に置くことができたからでしょう。このゲームに夢中になりました。体重は30kgを切り、水も飲まなくなり、痩せていることさえできれば、死んでもいいと本気で思っていました。学校からは登校禁止令が出ていたので、引きこもっていましたが、部屋に大人数人で入ってきて無理やり病院に連行され、以後入退院を繰り返します。いつか過食症へと移行し、さらに親からの心無い言葉によりさらに苦しむことになります。兄はこの間に籍を抜いて失踪し、20年以上行方不明となります。
親が喜びそうな銘柄の大学・学部へ進学するも、無気力感が続いていました。友人もおらず卒業式にも出席せずで、高校も大学も、青春時代のことはほとんど覚えていません。大学院に行く気力もなく、重い腰をあげて出版社に拾っていただきました。それでもやる気が持てず、摂食障害も継続。自律神経をやられ、自殺願望が強くなり、何度も衝動的な行動をとる日々でした。そんな中、編集者として偶然のヒットを何回か飛ばしてしまいます。それで上司や先輩たちに「天然」なキャラでかわいがられるが、本来の自分がさらにわからなくなってしまいます。
そんなとき、20代半ばで遠距離恋愛がはじまります。三年越しで渡欧しますが、なによりも、親元を離れることが最大のメリットと感じ、海外へ逃げ出したのでした。
兄の自死が危機のプロローグに
結婚し、NGOに就職。行方不明だった兄と連絡が取れ、兄は私の説得で両親と和解し、仙台の両親のもとへ戻りました。老いた両親を世話したいと願った優しい兄。人一倍親思いだったために、姿を消していたのかもしれません。その兄が再び重荷に耐えられなくなり親のもとで自死したのは、同居してすぐのことでした。わたしは、この喪失に向き合うことなく勉強にのめり込みました。わたしはそれしか方法を知らなかったからです。ここから元夫とのすれ違いがはじまっていきます。そして、兄の自死という喪失が、これからドミノのように続く一連の喪失のプロローグでしかなかったことは、このときは知りませんでした。
たくさんの喪失が一度に重なったどん底
40代前半で元夫との関係が悪化し、離婚にいたりました。権利をきちんと整理していなかったため、家を追われ、ホームレス寸前にまでいたりました。運よくクリスチャン系クライシス・ハウスに助けられ、ことなきを得ましたが、このものの三か月ほどの間に、住む場所だけでなく、パートナー・仕事・健康・最後の肉親であった母と、すべての安全・足場が、一気に崩れ落ちました。
しかし、この離婚に続く一連の喪失が人生最大の贈り物だったのです。
すべてを失うことで、わたしは、やっと自分自身を始めることができたのです。
新たなパートナーと出会い、新しい職場と仲間を見つけ、ようやく自分の人生をひとつずつ選択してくことで、ほんとうの自分とは何かを、自分で定義しはじます。運動習慣を取り入れ、脳科学や瞑想を学び始めたのもこのころでした。
最も過酷な試練:最愛の我が子の危機
最愛の息子が14歳で薬物依存に陥ってしまいます。元夫は実はアルコール依存症の母との生活を強いられた、本来の意味での「アダルトチルドレン」であったため、ショックのあまりフリーズしてしまい、息子を家から追い出してしまいます。これまで、半々の共同親権でやってきたのですが、突然、母であるわたしに、この依存症の息子のケアが100%のしかかってきました。人間の生活とは思えないような日々が続きました。息子の依存症と向き合う日々は、心も体もぼろぼろになる、ローラーコースターのような二年でした。日々、バーンアウト寸前の自分を抱きかかえるようにして、仕事と息子のケアとを両立し続けました。
奈落の底に落ちていこうとする息子。愛するものが落ちていくとき、親として、奈落からなんとかして「引き上げて」あげたいともがくのは当然のことでしょう。しかし、依存症者は、底つきしなくてはあがってこれることがないのです。どんな強大なクレーン車を使っても、それは、無理なことなのです。
親にとって、子供が奈落へ落ちていくすがたを見せられるのは、なんと過酷なことでしょう。そうやってもがくうちに、このような家族やパートナー関係は、「共依存」というタンゴを踊るようになっていきます。わたしたちも然りでした。
彼が落ちていくほどに、わたしは「彼の」状況をなんとかしなくてはともがきました。しかし、それは「彼の」人生です。本人の意思がないところに、親であれ別の人物が「なんとかしてあげられる」ことは何もないのです。
依存症に寄り添う日々、いつもギリギリのところで生きていたわたしは、孤独でした。
仕事とぼろぼろの家庭以外のことには一切なにもスペースが残されていません。同僚も友人たちも、みな自分の人生を生きていて、旅行にいったり、喜ばしいイベントがあったり、「先に進んでいる」。
取り残される。自分が立ちすくんでいるそばで、すべてがビュンビュンと音を立てながら通り過ぎていく。
なぜわたしが?なぜわたしの子が? 答えのない自問に日々涙し、さらに立ち尽くしました。
そんな葛藤の日々、たくさんの援助の団体、人々と関わっていきました。
依存をめぐる心理学を学ぶと同時に、自らカウンセリングを受けました。転機の時がやってきたのです。
衝撃・心理療法ってすごい
共依存という概念を学びました。
共依存(きょういそん)とは、お互いに過度に依存し合う状態を指します。特に、一方が相手を支え、もう一方はその支えなしでは生きられないという関係になりがちです。
アルコール依存症のパートナーを支え続ける人の例がよくあがりますが、親の期待に応えようと無理をする子どもも、典型的な例です。
衝撃が走りました。
わたしが、息子の依存症を悪化させる温床になっていたなんて。しかも、わたしや兄の子供時代も、共依存だったなんて。
わたしが、息子の依存症の環境だったのです。助長していたのです。
そんな中、息子が幻覚症状を起こし、ユースケアと裁判所の決定で、閉鎖施設へ強制連行されていきます。母として「愛しているが、依存が続くなら同居はできない」と伝えたのです。
それは、タンゴを踊る一方のものが、「わたしはもう踊らない!」という宣言をすることで、共依存が断ち切られるきっかけとなった瞬間でした。
息子は母との生活を選びとってくれたようです。自ら薬物を断ち、リハビリ施設へ入所していきました。その後、奇跡的な復活を果たします。
それは、カウンセリング・心理療法の中で学んだ気づきを応用した、確かな手ごたえでした。
現在の活動
この確かな手ごたえに雷に打たれたようになったわたしは、さらに、NLPコーチングや、カウンセリング、また脳科学などをかたっぱしから学び始めました。
現在、オンライン・カウンセラー、また、オンライン・コーチとして独立しています。
また私生活では、新しい街の素敵な家に引っ越して、現在のパートナーと息子とともに三人の新しい生活を送っています。
ミッション
あなたが「危機」と思っているものは、実は「転機」です。大きな幸せへの突破口なのです。
それが「危機」に終わるのか、はたまた幸せへの入口になるのかは、あなたの決断いかんです。
けれど、決断にはときに、だれかの・なにかの導きが必要なことがあります。わたしにとっての、心理療法やカウンセリングが、突破口になってくれたように。
だれかの人生が良い方向に向かうお手伝いをしたい。そのひとが、前を「見続ける」ちからを「保ち続ける」ことができるように、寄り添ってサポートしたい。
そんな思いで、現在、わたしという人生の車は、走り続けています。ひとりでもだれかが、自分の人生の素晴らしさに気づいたときの感動は、わたしにとっての大きな原動力です。
最悪のシナリオを想定することで、自分の人生を現実に最悪のシナリオにして生きてきたわたしだからこそ、その真逆を狙ってみると、いかにこれがうまくいくものなのか、一番びっくりしているのは私自身です。そして、このわたしを見つけてくださったかたとご一緒に、人生を良いシナリオに転換していきたい。これは、幸せのオセロゲームなんです。わたしと一緒に、ひとつひとつのコマをひっくり返していきませんか?
自分の人生の運転席を奪取して、好きな方向へ行くことは、何歳からだって遅くはありません。
さあ、今から出発しませんか?
どうしても辛い過去や最悪のシナリオばかり考えてしまう・・・
絶望、不安、焦り…いつも心のどこかで怯えているあなたへ
心の奥底の本音に気づくことで
あなたが本当に進みたい方向がみつかり
自然とやりたいことができるようになる
人生の運転席に座り、向かいたい未来へ舵を切る
アダルトチルドレンの生きづらさを才能に変える自己発見プログラム
依存心を乗り越え、ありのままの自分を好きになる方法
どうかお気軽にお試しカウンセリングをお申込みください!
お待ちしております。
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