「底つき神話」にNOを

私は「底つきを待つべきではない」と思う

もしも支援者が
「本人の底つきまで待つべきだ」ということを言ってきたら?

まずはその支援者が言っている「底つき」が何を言っているのか
聞いてみてください。

もしもその「底つき」が、どうしようもないほどの状態:
・健康の悪化
・財政の悪化
・家族の崩壊
など、本人が生きてけなくなるような状態を言っているのであればですが:

むしろ、
底つきを待つ必要はない
と思っています。

依存症の世界では、長い間、「人は底つきしないと変わらない」と言われてきました。

しかし、家族の立場からすると、
その言葉はとても残酷なものです。

なぜなら、それはつまり

「あなたたちは無力です」
「本人の気が変わるまで、手をくわえてみてなさい」

と言われているようなものだからです。


家族のSOSは立派な介入の理由です


家族が助けを求めること自体が、
すでに介入の理由です。

けれど、私が息子の問題で相談していた頃は、
そういう考え方ではありませんでした。

私は相談先の依存症専門の機関でこう言われました。

「息子さんご自身が動かないなら、私たちも動けませんね。」

つまり、

本人が助けを求めない限り、支援は始まらない

ということでした。

本人は否認しています。依存症は否認の病ですからね。
もちろん自分から助けを求めることなどありません。

それでも、
いわゆる「底つき」まで待つしかない
と言われるのです。

私はそのとき、
本当に途方に暮れました。

だって、この子は、死ぬまで否認するだろうと思ったから。


幸運にも、介入が入りました

けれど、私の場合、
別の形で状況が動く出来事がありました。

ユースケアによる介入です。

これは依存症治療のルートではなく、
まったく別の文脈から、
偶然入った介入でした。

しかもそれは、
依存症の支援でよく言われる

「本人の同意」

とは真逆の形でした。

むしろ、
かなり強制的な介入で、自宅から閉鎖施設へ強制連行されました。

理想的な形とは言えません。
けれど、わたしたち親子は今でも感謝しています。ええ、そうですよ。
数年たった今、本人も今では感謝しているそうです。

底つきを待っていたら大変なことになっていた。

強制収容でしたから、閉鎖施設にいた最初の半年の否認はすさまじいもので、
逃亡したり、物質使用したり、なにより、まわりの大人を憎んでいました。

それでも、施設のみなさんも、わたしも、対話を続け
辛抱強く待ち続けました。

いつしか、
自分と向き合う日々になっていったそうです。

そして、あるとき突然、
息子はたくさんの文章を書き始めました。

その中で、
自分が依存症なんだ
という事実と向き合うことができたようでした。

そしてこのとき、
息子は初めて自分から

「ぼくは依存症者です。専門のクリニックに行きたいです。」

と決意しました。

私たちは幸い、
この介入がありました。

けれど、もしあの強制的な介入がなかったら
どうなっていただろう、と考えることがあります。

おそらく私は、
ただおろおろと右往左往し消耗するだけで、
結局何もできなかったと思います。

そしてどこかの時点で、
事故や薬物によって、
取り返しのつかない事態になっていたのかもしれない。

それは今でも考えたくない。


だから私は「底つき神話にNO」と言いたいのです

私の経験と、その後に学んだことから、
私はこう思っています。

底つき神話にNO。

家族が助けを求めに走ることは、
遅すぎることはあっても決して早すぎることはありません!

むしろ、

回復の最初のSOS

になることがあります。

依存症の問題は、
本人ひとりだけの問題ではありません。

だからこそ、
家族の声もまた、
大切なサインです。

もし今、
「本人が動くまで待つしかない」と言われて
苦しんでいる家族がいるなら、
私はこう伝えたいです。

助けを求めてください。

そして、求めたその先で、「底つきを待て」と言われても、
次をさがしてください。SOSを発し続けてください。

そして私は、
これからも言い続けると思います。

底つき神話にNO。
*もちろん、底つきが何を意味するかによりますけどね。それは、この記事を読んでください。