「底つきしなければ回復しない」は本当か

依存症について語られるとき、よくこんな言葉を聞きます。

「本人が底を打たないと変わらない」

依存症は「否認の病」と言われます。
本人は問題を認めず、「自分は大丈夫」「たいしたことはない」と言い続ける。

そのため、仕事を失うとか、健康を壊すとか、人間関係が壊れるとか、
人生が崩れるような出来事が起きて初めて、本人は問題を認める。

だから「底つきが必要だ」と言われるわけです。

この説明には、たしかに一理あります。
強い否認がある限り、人は自分の問題を認めにくいからです。

でも私は、この説明には大きな前提があると思っています。

それは、

「本人が問題を認めない限り、問題は存在しない」

という前提です。

しかし実際には、多くの場合そうではありません。

本人が「問題ない」と言っているときでも、
家族はすでに困っていることが多いのです。

お金の問題が起きていたり、
約束が守られなくなったり、
嘘が増えたり、
家の中がいつも緊張した空気になっていたり。

つまり、本人が認めていなくても
問題の影響はすでに周囲に現れているのです。

もしそうだとしたら、
家族が困っているという事実は、
それ自体がすでに重要なサインではないでしょうか。

私は、そこに介入の理由があると思っています。

依存症の問題は、本人一人の中だけで起きているわけではありません。
家族関係の中で現れ、家族の生活にも影響を与えます。

そして家族は、その状況の中で

不安を感じたり、
怒りを感じたり、
悲しみを感じたりしています。

こうした感情は、ただの感情ではありません。

家族が何に困っているのか。
何に傷ついているのか。
何を怖れているのか。

それを言葉にして関係の中に持ち込むこと自体が、
状況を動かす力を持つことがあります。

つまり、問題は

「本人が認めるかどうか」

だけで決まるわけではないのです。

家族が困っているなら、
そこにはすでに関係の問題としての現実があります。

そして、その関係の中には
関わり方を変える余地があります。

私は、ここに大きな可能性があると思っています。

「底つきまで待つしかない」

そう言われてしまうと、
家族はとても無力に感じてしまいます。

でも、もし家族が困っていること自体が
すでに介入の理由になるのだとしたら。

私は、底つきを待つ必要はないと断言します。
家族は、無力ではありません。

家族のちからは、とても大きなものです。