依存症が「問題」ではなかった

依存症という言葉を聞くと、
多くの人は「それが問題だ」と思う。

やめるべきもの。
なくすべきもの。
克服すべきもの。

でも、少しだけ見方を変えると、
まったく違う景色が見えてくる。


表に出ているものと、隠れているもの

依存症は、とても目立つ。

生活を壊すし、
周りの人も巻き込むし、
「これさえなければ」と思わせる力がある。

でも、本当に見るべきなのは、そこじゃない。

その裏にあるもの。

たとえば——

  • 人と関わることへの強い恐怖
  • 居場所がない感覚
  • 孤独
  • 自己否定
  • 過去の傷つき

こういうものが、静かに存在している。

依存症は、それを覆い隠してしまうほど強烈なだけで、
“本体”ではない。


それは「壊す行動」ではなく「守る行動」

依存というと、自分を壊す行動に見える。

でも実際には、その逆だ。

それは——
その人なりの「守る方法」だったりする。

不安を和らげるため。
孤独を感じないため。
これ以上傷つかないため。

つまり、依存は
「なんとか生き延びるための手段」。


だからこそ、やめるだけでは足りない

もし依存だけを取り上げて、
それを無理にやめさせようとするとどうなるか。

守っていたものが、むき出しになる。

不安も、恐怖も、孤独も、
そのままの形で押し寄せてくる。

だから——
やめられない。

あるいは、やめても別の形で現れる。


見えなくなる「はじまりの痛み」

あるとき、こんな話を聞いた。

コロナが終わって、新学期が始まったとき。
久しぶりに学校に行ったら、
仲の良かったグループがほとんどいなくなっていた。

成績の問題で進級できなかったり、
別の学校に行ってしまったりして。

そこから、クラスになじめなくなった。

その違和感と孤独の中で、
外に居場所を求めるようになっていった。

——きっかけは、とても静かで、よくある出来事だった。

でも、その「小さなズレ」が、
その人にとっては大きなストレスになることもある。


本当に見たいものは何か

依存症を見るときに、
問いはひとつだけでいいのかもしれない。

この人は、何に耐えられなかったんだろう?

何が怖かったのか。
どこで孤独になったのか。
何から自分を守ろうとしているのか。

そこに目を向けない限り、
依存は形を変えて続いていく。


それでも、人は変われる

ここまで読むと、
「じゃあどうすればいいのか」と思うかもしれない。

でも、ひとつだけ確かなことがある。

人は、自分の内側で起きていることに気づき始めたとき、
少しずつ選択を変えられるようになる。

無理にやめさせるのではなく、
理解し、気づき、別の方法を持てるようになるとき。

依存は、役目を終えていく。


最後に

依存症は、確かに問題を引き起こす。

でも、それは
「本当の問題」そのものではない。

むしろ——
その人が抱えている痛みを、必死に支えていたものかもしれない。

そう考えたとき、
見えるものが少し変わってくる。

そして、その見え方の変化が、
回復の入り口になることもある。